基本的人権とは、「人間であることに基づく普遍的権利」であり、「人間の生存に欠くことのできない権利及び自由」とされています。
しかしここ最近、その「基本的人権」をないがしろにする発言や行動が相次ぐようになっています。
いったいなぜそのようなことが起こるのか?
それは「基本的人権を悪用する人達がいるから」です。
その「基本的人権を悪用する人達」とはいったいどういう人たちなのでしょうか?
“基本的人権”を悪用する様々な人たち
女性:快・不快だけで物事を判断する人たち
かつてのフェミニストは、女性の自由や権利を訴えて活動してきて、参政権・雇用機会均等などそれなりに成果を上げました。
しかし現在は、自分たちにとって心地よいかどうかだけで判断する事例が多数報告されています。
例えば先ほどの参政権も、最近では「政治の社会進出が遅い」というだけで女性議員を強制的に割り当てを決める”クォーター制”の導入を主張しています。
ですが、国会議員はあくまで有権者から選ばれたもののみが就くべきポジションで、また国の政策を決める重要の仕事のため、能力の無い人を選ぶのは国民にとっては地獄なのです。
にもかかわらず、一部の国会議員たちは「多様性」をキーワードに、無理やり女性枠を作って、無能でも「女性だから」という理由で簡単に女性の国会議員を作り出そうとしています。
控えめに言って、無能を送り込まれるのは迷惑です。
また、最近では女性の権利が暴走し、男性の生命を脅かしかねない事態が相次いで発生しています。
- 恋愛格差を男性のせいにする
- 専業主婦でありながら家事をせず、働いている夫にやらせる
- 合理的に考えることもできず、何でも男性のせいにする
結局のところ、”自分の思った通りの世界で暮らしたい”というわがままを押し通すために際限なく男性を犠牲にしているだけで、そのことに無自覚なままあらゆる主張をしているだけという人たちに成り下がってしまっています。
障害者:合理的配慮の暴走
全国に600万人もの障害者(手帳所持者のみ)がいる日本。
そのような中で多くの障害者がひっそりと暮らしている人もいれば、就職や起業などで活躍している人もいます。
そのような中、障害者差別解消法により合理的配慮が義務化されました。
これは、「障害者が何かに困ったら手助けしよう」の延長線上の話で、各自が無理のない範囲で手助けするという概念です。
しかし、中には合理的配慮とは思い難い、単に相手に要求しているだけの、言葉の意味が分かっていない、ただの野蛮人が健常者に牙を向けています。
この点はすでに下記の記事で紹介しています。

こうした人が増えていくと、障害者へのヘイトクライムが横行し、生活はおろか命さえ脅かされる事態を招きかねません。
そのことに気づかず、今も相手に要求しているだけなら、いっそのこと野垂れ死んだほうがいいのかもしれませんね。
高齢者:今日における搾取の主犯
搾取といえば、多くは金持ちや政治家などが普通の人からお金を奪い取ることを指した言葉でしたが、現在は高齢者が”自らの命を守るため”に現役世代から税金として搾取しています。
現に、高額の医療費の大半が高齢者向けであり、生活保護や交通・雇用まであらゆる分野で幅を利かせています。
それでも、体が悪くて動けないというのならまだ話は分かりますが、現実には体調的には特に問題ないのに隠居生活の上、車の暴走事故を起こしたり、雇用の現場でふんぞり返ってデジタル化を徹底的に拒否したり、さらには敬老パスの拡大を要求したり、もうやりたい放題です。
自らの命を守るために現役世代から搾取する構造はいい加減やめないと、体が悪くなった時誰も支えてくれません。
外国人:”郷に入っては郷に従え”が理解できない人たち
特定技能、あるいは普通の雇用契約(日本人と同じ地位)で働く外国人が多くなっている昨今、外国人とかかわらずに生きていくことがだんだんと難しくなっています。
それでも、相手が日本のことを理解していればいいのですが、現実には住んでいる地域のことも考えずやりたい放題を尽くして事件まで起こして大迷惑なんてことも頻繁に起きています。
そもそもの原因は、日本の企業が安い労働力を得るために低賃金でも働く外国人を雇って人件費を安くしようとしたのが原因で、今日起きている外国人問題は、本来は企業が負担すべきではないかと思います。
安月給がもたらした社会悪を企業はどう弁償するのでしょうか?
また、これにかかわらず、1地域出身の外国人がある地域で犯罪の限りを尽くしているにもかかわらず、これを「小さなこと」と言わんばかりに無視し、後で殺人事件に発展することも起きています。
そこまでして外国人を受け入れるのなら、外国人1人当たり月100万円の所得税を徴収したほうが良いのかもしれません。
月100万円の所得税を払えるのは超優秀な人だけでしょうから、何らかしら貢献はしてもらえるのかもしれません。
“基本的人権”を悪用する様々な事象
表現の自由:無責任野郎を増殖させる罠
あらゆる表現を自由に行えるのは確かに正しいかもしれませんが、一方で他人を傷つけたり、デマを広げたり卑猥な言葉を発したりと、無責任と思える表現を行って大迷惑になる事象がたびたび相次いでいます。
にもかかわらず、表現の自由を守りたい人たちは、このような有害事象から目を背け、ひたすら自由を叫び、気が付いた時には自由が”放棄”されてしまう・・・なんて恐ろしい将来を考えようと思いません。
ただ「自由」、それだけで満足します。
「自由には責任が伴う」このことを十分に理解していれば、もう少し表現に気を付けて文章やイラスト・画像を工夫しようと思うものです。
・・・が、その意識が全くないので、とりあえず思ったことをその場でやってみて、世間にウケればよい・・・という浅ましい考え方が横行するようになります。
こうした考えの人が、思いっきりド直球な差別発言などを行い、世間から非難を浴びるのです。
これが、「表現の自由戦士」の実態です。
世間と向き合おうともせず、ただ自分たちの望む”自由な表現”を作るために他者の存在を無視して、抗議が起きると「裁判所へどうぞ」と見向きをするどころか攻撃的となる。
こういう人を見ていると「自由って何なんだろう」と思ってしまいます。
世間が理解できていない「頭の悪い人たち」が問題
「人権を守れ」と言っている人たちが人権を切り捨てている
上記のような「人権を守るため」と称して様々なトラブルをまき散らす人は、たいていの場合「目先のことしか考えることができない頭の悪い人たち」でしかなく、この状態を放置すると「人権を守ることは頭の悪い人を甘やかすこと」として守られなくなり、しまいには人間の存在をもこの世から消し去ります。
そのような事態が訪れた場合、今まで人権で手厚く守られた人たちに向かって石を投げつけられ、首にされやがて自ら死を選ぶようになり、結果として人権が守られなくなります。
人権よりも大事なもの
本当に必要なのは、常識や世間を理解することであり、人権はそのあとの話です。
人はみな、一人では生きていけません。
だから、困ったときには誰かに手助けを受け、別の困った人には手助けをすることでこの環境が成り立っています。
「人権を守れ」という人には総じてこの現実が理解されてないようで、

私はこんなつらい思いをしてるんだ!
などという、世間が分かっていればこんな感情論なんか出ないであろうことが頻発します。
常識を知らない、世間が理解できない人は必ず人権を盾に大暴れして他人に害を及ぼすということが分かっているなら、人権を声高に叫ぶ前に、世間や常識を理解しておきましょう。
そして周囲の方にも人権を語る前に「世間を無視しては人は生きられない」という現実を突きつけましょう。