これまでこのブログでは、障害者雇用についてだいぶ批判的な記事を書いてきました。
氷河期世代がブチ切れる・生産性が下がる・役に立たないなど。
こうした内容に対しては、常に「障害者でも働きたい人がいる」「配慮すれば働ける」「障害者でも働くべき」という反論が返ってきています。
実際に、多くの企業・団体などが障害者雇用の取り組みや議論などを行っているようですが、これがあまりにも感情的に思えてなりません。
いったいなぜこんなことが起きるのでしょうか?
就労移行支援がアフィリエイトで客集め?
匿名のブログは要注意!
Google検索などで”障害者雇用”または”就労移行支援”などで検索すると、大体が行政または就労移行支援事業者のホームページにアクセスされます。
そのため、制度や実例を理解し、実際に就労移行支援サービスを利用するか厳密に判断することができます。
しかし世の中には、いったいだれが書いたのか、実際に就労移行支援に通っているのかわからないブログが氾濫しており、そんなサイトをうっかり見てしまうと就労移行支援とはどういうものかわからなくなってしまいます。
共通する特徴として、1ページに複数の事業者へのリンクが張られている・過度に安心をうたう(”デメリットはない”・”障害者雇用は簡単”など)という、一見すると健全のように見えるサイトばかりです。
しかし、だまされてはいけません!
上記の特徴があるサイトは、ある目的のために作られたサイトなんです。
その目的は・・・広告収入を得るため!!
そう、アフィリエイトです。
自社の製品・サービスを第三者を通じて紹介するアフィリエイトは、主に服や雑貨・食品・日用品から、不動産・クレジットカード・旅行商品などを中心に“アフィリエイター”と呼ばれる人たちに宣伝してもらい、商品購入・サービス入会に至った場合などに対価を支払う仕組みで、通常はA8・もしもアフィリエイト・リンクシェアなどアフィリエイト・サービス・プロバイダー(ASP)を通じて提供されています。
そんなアフィリエイトを福祉事業者が堂々と利用して、顧客となる高齢者・障害者をひたすら集めているのです。
結局は公金チューチュー
これの何が問題なのかというと、福祉事業者には大なり小なり補助金が投入されています。
補助金は国民の税金です。
また、利用者が増えるとその分投入されていく補助金が増えていきます。
そのため福祉事業者は、とにかく顧客を集めて収益を上げるようアフィリエイトを活用して、利用者を増やしていきます。
就労移行支援の場合、契約には事前に計画相談支援という、サービス利用にあたっての意思確認・モニタリングを行うサービスを利用し、計画書を自治体に提出しなければなりません。
これは、就労移行支援事業者に対し、行政から利用実績に応じて補助金が支給されるからです。
実際の金額は、以下のサイトにあります。
利用者の負担額は、利用額の1割で上限が9,300円で残りが補助金となります。
なお、住民税非課税または生活保護受給の場合は負担がなく、全額補助金となります。
逆に行政からの補助金の金額については、利用者1人につき、一日あたり4,000円~10,000円です。
(これ以外に加算もあります)
つまり、アフィリエイトで顧客となる利用者を集めれば集めるほど、行政からの補助金が多く投入され、会社の収益が大きくなるのです。
これは、典型的な補助金ビジネス・障害者ビジネスなんです。
そんなビジネスにアフィリエイターは堂々と加担しています。
地道に支援してきた団体が苦しむ羽目に
障害者雇用の抱えている問題点を明らかにせず、ただひたすら「就職できる」「デメリットはない」などとうそつき放題で、”私のおすすめ””ベストテン”など、必ずどれかをクリックさせようとする記事が氾濫しています。
サイトを見ている人には「ここに通えば就職できるかも」とリンクをクリックしてしまい、あれよあれよと見学会に参加され、甘い言葉に騙された状態で利用契約を結ぶことになります。当然、計画相談支援も受けて行政に計画書を提出します。
営利を目的とせず地道に支援して実績を上げた団体が、営利を目的とする企業に負ける・・・というのはこれまでにもたびたび起きていますが、就労移行支援もまた、ご多分に漏れずこのような事態になりそうです。
その分補助金の垂れ流しを増やすことになりますので、いい加減福祉とアフィリエイトの悪魔的な合体を阻止したほうが健全ではないかと思います。まぁむりだけど。
経営者でもない人の語る”生産性”の、説得力のなさ
収益への悪影響が無視されている
今の日本、生産性の議論が盛んにおこなわれています。
日本企業の生産性が低く、どうすれば生産性が上がるか模索している中で、障害者雇用を推進しなければならない・・・と考えると、健常者とほぼ同等の能力を持つ障害者しか雇うことができず、知的・精神・発達の障害者は「足手まとい」「トラブルを招く」として敬遠されます。
にもかかわらず、「このようにすれば生産性が上がる」などと言って、参考事例を挙げていたりしていますが、紹介している例は生産性向上というよりは、作業効率向上程度の役割しか果たしておらず、“少ない投資で最大の効果を上げる”という目的から大きく逸脱しています。
何より、経営者が語る”生産性”を理解できておらず、ただひたすら自分たちの考えている”生産性”を経営者に押し付けているように見えます。
仮に、商品を梱包する作業4時間行った場合、障害者5人と健常者1人で比較した際
障害者5人→100箱
と
健常者1人→100箱
では、明らかに健常者に作業させたほうが生産性が高くなります。
それでも障害者を雇わなければならない場合
障害者5人の賃金=健常者1人の賃金
でなければ、単に無駄な支出になるだけになり、生産性がかえって悪化してしまいます。
重要なのは収益への悪影響であり、同じ人間の作業効率を上げたところで効果などたかが知れています。
“合理的配慮”はコスト増の要因
一部の人たちは“合理的配慮を行えば生産性が上がる”と主張しているようですが、残念ながら合理的配慮にはコストがかかります。
単にスロープ程度で済めばいいほうですが、実際には、
- 音が敏感だから専用のスペースが欲しい(→工事費がかかる)
- 専用の機器がないと作業できない(→設置コストがかかる)
- 通勤や移動での支援が必要(→人件費がかかる)
などがあり、こうした負担を行って有り余る能力があれば障害者も採用されると思いますが、障害者雇用が進んでいない現状を見ると、経営者は「負担に見合うほどの生産性はない」と考えているようです。
そのため障害者雇用義務のある企業は、できる限り健常者並みの仕事ができ、かつ合理的配慮のコストが全くかからない障害者を厳選して採用するようにしています。
さらに、障害者の中には体調を崩しやすく時々休む人や、通院のために1日休むなど、勤怠の調整が必要な場合もあります。
その場合、業務が滞るのは確実で、ただでさえ人手不足の企業にとっては単なる足手まといでしかなく、健常者の社員の負担が急増してしまいます。
それ以前に、障害者の労働力が低い場合は健常者が付きっきりで支援しなければならず、その分人手が必要になり余計に人手不足になるという悪影響が出てきてしまいます。
合理的配慮はむしろ、障害者を雇う企業の足を引っ張るだけの存在でしかありません。
“人間として”と”労働者として”の違いが分からない哀れな人
労働者には能力が求められる
この手の議論になると必ず発生するのが
“生産性のない人間は生きる価値がないのか?””障害者差別だ!”と非難されることがあります。
確かに、実際の生活で生産性を求められることはありませんので、“人間としての生産性”を問う場面は存在しません。
たまたま生まれてきただけの人間が、障害者ながら同じ人間に対して生産性を問うのはばかげています。
ただし、労働者となると話は別です。
それぞれの企業は、社会に対して様々なサービス・商品を提供し、その対価を得ることで納税や労働者の賃金・取引先への支払いや借金の返済などを行うほか、新たなサービス・商品の開発や販売などを行っています。
これが”事業”というものです。
このため労働者は、企業の中でサービス・商品を提供し、その対価を得る活動に協力しなければなりません。
だからと言って、闇雲に協力者を募るとサービス・商品提供の提供が難しくなり、納税はおろか労働者の賃金を支払うこともできません。
そのため企業は、”事業”に協力してもらえるだけの力があるかを見極めなければならず、結果としてどこの会社にも協力させてもらえない”失業者”という人間が発生してしまいます。
だから、“労働者には能力が求められる”のです。
“社会貢献”にもお金がかかる現実
一部では障害者雇用を”社会貢献”として推進すべきという主張もありますが、残念ながら“社会貢献”にもお金がかかります。
支援団体やNPOなどへの寄付金や、活動を行う際の経費(人件費や設備への負担など)はすべて企業が負担しています。
しかし、何らかの理由で企業が負担できなくなったときは“社会貢献”を辞めざるを得ません。
障害者雇用でこのような事態が起こると、“労働者”としての障害者は会社から排除されます。
この現実に対して多くの人が理解できておらず、“社会貢献”をまるでただで行っているかのように勘違いし、企業に対して「障害者を雇え」と、無責任に要求している場面を多く見かけます。
物には限度があります。
ない袖は振れません。
そのようなことが分からない人が“生産性のない人間は生きる価値がないのか?”と批判していしまっているのが現状です。
企業にとって、障害者雇用は”理不尽”
このような現実を象徴する仕組みとして、“障害者雇用支援サービス”というものが存在します。
主な内容は以下の通りです。
このようなサービスが存在するのは、表面的には「障害者に提供できる仕事がない」ということですが、この回答はあくまで「障害者を雇わなければならない」という雰囲気の中での意見であり、実際は“障害者雇っても足を引っ張るだけ”が本音だと思います。
要するに、企業は障害者雇用の存在意義を否定しているのです。
だから、障害者と健常者を強制的に分断し厄介払いしようとしているのです。
むしろ問題なのは”働かざるもの食うべからず”
しかし日本では、そもそも憲法に勤労の義務が定められているうえ、“働かざるもの食うべからず”という意識が蔓延しているため、生活と仕事を一体的なものとしてとらえる文化となっています。
これは障害者にとっては絶望の極みです。
そもそも、働いている障害者が少数派である時点で憲法違反のような状態で”働かざるもの食うべからず”となると、障害者を安楽死させるか餓死させるかのどちらかを行わなければなりません。
障害を負ったがために企業で雇ってもらえず、長年にわたって生活保護や障害年金、あるいは親の収入で生活しているのですから、”食うべからず”なんて言われたらどうしようもありません。
いっそのこと“企業は障害者は雇いたくない”という前提で生活支援の制度を整え、安心して生活できるようにした方がましなのではないでしょうか?
えっ?それでも働けって?
あぁ、障害者雇用にかかる経費全額を(給与も含めて!)国が出すなら働けるかもね。